最近読んだ本の内容から話。
明治10年創業の歴史を持ち皇室御用達でもあった
香川県高松市の老舗旅館である旅館川六は、バブル崩壊や瀬戸大橋ブームの終焉で倒産寸前となった。
2000年に38歳で5代目社長に就任した宝田圭一氏は、強みだった宴会事業や飲食事業なども全て切り捨てて、
「宿泊」だけに特化した、ビジネスホテルへの業態転換を決意した。
2002年にオープンした「エルステージ高松」は、「あいさつ、そうじ、でんわ」を徹底することで次第に口コミが広がっていって稼働率が高まり、廃業寸前から再建を果たすことができた。
再建手段を見せた川六に、熊本県熊本市にあるエクストールイン熊本銀座通のリニューアル再建の案件が持ち込まれた。同ホテルは183室も部屋があるのに、ホテルの繁忙期と言われている夏休みのお盆に宿泊客がわずか8人しかいなかったことがある、というほどのどん底状態であった。
その頃のスタッフの多くは、「お盆だからみんな家でゆっくりしているのだろう」「わざわざ熊本まで来る人は少なのだろう」と楽観的に考えていたが、他のホテルはたくさんのお客様で賑わっている。
これ以上下げることができないというところまで基本料金を下げるなどの手を打ったが、空き室は減らず、手詰まりになって、川六との契約に至った。
建物の状態も良く、立地にも恵まれているのに、どうして稼働率が上がらなかったのか、川六の宝田社長はその原因をある一言から知った。
旧ホテルの頃からのフロント担当の女性が、 「ホチキスを買っても、いいですか?」と言ってきた。
このホテルには驚いたことにホチキスがなく、彼女がかつて上司に「ホチキスを買いたい」と頼んでも「お金がかかるからダメ」と断られたという。
スタッフが「こうしたい」「ああしたい」と提案してもホチキス一つ買ってもらえない環境であり、どうせ聞き入れてもらえないならと、スタッフもだんだん何も言わなくなっていったのだった。
スタッフたちにやる気がなかったわけではなく、彼らの心の中には「こんなことをやってみたい」というやる気の種火があったのに、トップが彼らのやる気を封じ込め、飼い殺しにしていた。
お盆に8人しかお客様が来なかったのは、スタッフのせいではなく、現場に声に耳を貸さなかったトップの責任である。
再建にあたった宝田社長は逆に、「何でも言ってください」とスタッフに話した。
社長と現場の距離が近くなって、スタッフが毎日毎日、積極的に改善提案を提出するようになった。
また、宝田社長はエルステージ高松の時のように「あいさつ、そうじ、でんわを徹底していきます」、「こういうホテルを目指します」という方針を明確に打ち出していった。
そのため、旧ホテルからいるスタッフたちは、旧ホテル時代と違い自分たちの行き先が明示されたことで不安なく改革に取り組めた。
エクストールイン熊本銀座通は、かつては平均稼働率が25%まで落ち込んでいたが、現場の声を集めてサービス改善を繰り返し、「あいさつ、そうじ、でんわ」を徹底した結果、半年後には稼働率が80%に急増、
リニューアル後、わずか1年で黒字化した。
エクストールイン熊本銀座通がリニューアル前、建物の状態も良く立地にも恵まれているのにどうして稼働率が上がらなかったか、その弱体化の理由は、
・トップが「現場の声を聞かなかった」
・トップが「方針」を明確にしなかった
という2つの理由が主にある、と川六グループの宝田圭一社長は分析する。
再生前に多くの社員がやる気を失っていたが、社員がやる気を失っていたのは、トップにやる気がなかったからだ、と宝田社長は述べている。
地域でいちばんピカピカなホテルより