最近本の内容からの話。
静岡県富士市の吉原商店街は、1980年代頃、旧東海道沿いの長さ1.2kmに120軒が並び
賑わいを見せていた。しかし、1990年に入ると郊外に大型のショッピングセンターができて人の流れが変わり、現在では約60店舗までに衰退してしまった。
東京や川崎のホテルで料理人として働いていた杉山清氏は、そこで出会って結婚した妻の実家、吉原商店街の杉山フルーツに婿入りした。
1990年代に吉原商店街の中にあった大型スーパーが相次いで撤退し、杉山フルーツも客足が途絶え売り上げは激減した。経営を継いだ杉山氏は、スーパーへの客に頼る「コバンザメ商法」に限界を感じ、ギフト専門の高級果物店を目指すことにした。
フルーツソムリエの資格の第1期生となったりインターネットでの情報発信を始めたりして、次第に杉山フルーツの高級路線は認知されていき、経営は軌道に乗るようになった。
2005年、杉山氏はフランス料理人の経験を活かし、フルーツの加工品にチャレンジすることにした。
最初は果物を煮込んでピュレ状にしたものをゼリーに仕立てたが、妻や子どもたちから「フルーツをそのまま入れたほうが分かりやすい」と言われ、果肉をそのままゼリーに入れてみた。果物をゼリーの中に浮くようにするためには絶妙な温度や調整が必要になるが、杉山氏は試行錯誤の末、それを完成させた。
「フルーツアーティスト杉山清の生ゼリー」は、当初は10個から販売を開始したが、半年後には1日に300個売れる人気商品となった。
そして地元のネットニュースや地元のテレビ局、さらには全国キー局のテレビが取材に来て、杉山フルーツには大行列ができるようになった。
生ゼリーは取り扱いが非常に難しく、保存料も防腐剤も入ってないため管理が大変で、杉山氏は、全国の百貨店やスーパーの催事には新人歌手のライブツアーのように自ら行く。
販売開始30分前になると、並んでいるお客さまに、「朝早くからありがとうございます。でも、たかがゼリーです。大間のマグロとは違います。そこはどうぞご容赦ください」と冗談を交えて、感謝の気持ちを話す。
自ら「たかがゼリー」とは言いながら、その時にはパティシエらしく、金ボタンの付いた白のコックコートを必ず着る。杉山氏はかつて、生ゼリーが注目され始めた頃は私服で店に出たり取材を受けたりしていたが、
「シェフスタイルの服装のほうがフルーツアーティストのイメージにふさわしいよ」
と知人からアドバイスを受けて、納得し取り入れた。杉山フルーツの生ゼリーやギフト用の果物は決して安価なものではない。
それなのに、販売する側の人間がセンスのない私服だったり、シミのついたコックコート姿で応対すれば、お客様には失礼にあたる。
たとえ地方の小さな果物屋さんであっても、生ゼリーをお買い求めになる瞬間は
お客様にとっても晴れの舞台のような、高価なものを買う特別なひとときだ。
だから、自分たちも気持ちを高めると同時にそれにふさわしいイメージづくりをするのは当然だ、と杉山清氏は述べている。
生ゼリーにきょうも行列ができる理由より