新技術へのネガティブ報道ば、沢山あります。
リニア・モーターカーへのネガティブ報道もそうですし、ボーイング787もそうでした。リニアの技術の画期的な性能よりも、磁力漏れがどうとか、工事の際の湧水が心配だという話が先行する、787の素晴らしい乗り心地と省エネ性能ではなく、(恐らくはワイヤリングのミスによる)電池の過熱問題ばかりが報道されたのです。
787に関していえば「電池がダメになったら墜落する」などという恐怖心を煽る報道もありましたが、そもそも飛行機というのは一旦エンジンがオンになれば、タービンの回転から潤沢な電力が得られるという乗り物です。
では、何で電池があるのかというと、あくまで非常用であるわけです。ですから、リチウムイオン電池がトラブったら墜落などという話は、デマもいいところなのですが、人々の心に一旦「怖い」という心理が刷り込まれると、それを煽った方が「受ける」というメカニズムがメディアを暴走させてしまうわけです。
こうしたテクノロジーへの拒絶反応というのは、例えば幕末から明治初期に「写真を撮られると魂が抜けてしまう」とか「電話線を通じて赤痢が伝染する」といったデマが駆け巡ったという話に似ています。
ですが、写真の場合は「考えられないほどリアル」だという当時の人々には腰を抜かすほどの驚きがあり、電話の場合も「遠く離れたところの声が聞こえる」という、それまでの常識ではあり得ないような「ショッキングな新しさ」があったことが推測されます。
ですが、暗号通貨やドローン、あるいはリニアモーターカー、ボーイング787といった「発明」は、そこまでのショックを与えたというわけではないと思います。つまり、技術があまりに革命的なので、人々が超自然的なものと思い込んだというのではありません。
そうではなくて、恐らくは人々の側に「新しいものへの不安感、警戒感」であるとか、「自分たちが生きてきたライフスタイルが過去形になることへの恐怖」といったものがあるのだと思います