新しい道徳という本を読みました。
世の中で当たり前のように言われている「道徳」に異論を唱え、その矛盾点を指摘する。良心のかたまりのように捉えられているイマドキの企業の本質を捉えてこき下ろす、痛快な内容で、売れている理由がよくわかります。
本書を読むと、学校の教え通りまじめにやっている人間がなぜ社会人になって損をするのか、なぜ実際の成功者がやったことと道徳教育の間に乖離があるのか、よくわかります。
以下、抜粋です。
時間のないせっかちな読者のために、最初に結論を書いておく。結局、いいたいことはひとつなんだから。
「道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない」価値観は心の中のものだ。そこにしまっておく限り、誰にも迷惑はかけない。
人間は妄想の生きものだから、いろんな考えが心に浮かぶのはどうしようもない。(中略)人の頭の中にまで手を突っ込むようなことをしてはいけない。
大人になったら誰にも邪魔されずに一日中思う存分ゲームをするのが将来の夢だと書いても、先生は頭をなでてくれるんだろうか。そんなわけないのは子どもでもわかるから、当たり障りのないことを書く。お年寄りに席を譲ったら感謝されたのがいちばんうれしかった、とかなんとか。嘘をつくなといいながら、嘘とつけと強制して
いるようなものだ。
年寄りは昔からずっと年寄りだったわけじゃない。何十年も働いて、税金を納めてきた人たちがいるから今の日本がある。電車に乗れるのだって、スマホでゲームができるのだって、つまり年寄りたちがこれまで働いてくれたおかげなのだ。
「巧言令色鮮し仁」というやつだ。孔子の時代からそうだった。端っから良心のない奴に、道徳なんて教えたってロクなことにはならない。道徳を教えるのと、良心を育てるのは別のことなのだ。
うっかり夢を語ろうものなら、親に叱られたものだ。「医者になりたいだって? 何いってんだ。お前はバカだし、ウチにはカネがないんだから、なれるわけないじゃないか」「画家になりたい? バカヤロウ! 絵描きで飯が喰えるわけがねえだろ」頭をひっぱたかれて、それで終わりだ。夢なんて追いかけてないで、足下を見ろというわけだ。乱暴だけど、それが庶民の知恵だった。
ノロマでもコツコツ努力すれば勝負に勝てるなんて幻想を、子どもに植えつけちゃいけない。そんなことしたら、真面目なカメは、みんな頭のいいウサギの食い物になってしまう。
友だちが一人もいなくたって、幸せに生きてる奴はたくさんいる。
「自分の満足」以前に、人として正しいことは何かを考えさせられます。
是非読んでみてください。