仕事をしていて、奇跡とか運は、凄く起きるし有るもんですね。 ひょんな出会いや紹介から、仲介をさせて頂くことになったり、いいタイミングで物件がでてきて、マッチングできたり。。。 でも毎日、奇跡は起こっているのです。 一日無事で過ごせたこと、これも奇跡。 毎日健康でいられること、これも奇跡。 大きな病気にならないこと、これも奇跡。 大切な人が幸せでいられること、これも奇跡。 奇跡が起こったとか奇跡的に助かったとかいうことが奇跡ではなく、 当たり前のように何もなく過ごせていることが奇跡なんです。 毎日、全てのことに感謝しましょうね! 自分が生きているという奇跡にも・・・。
ここ最近、仕事がまた多忙になりありがたいことですが、少々タフな私も疲れ気味。 休み無く、毎日、仕事を続けることができるのも、健康な身体のおかげです。 どんなに売り上げが上がろうが贅沢はしない。 仕事の調子が良いのが、いつまでも続くようなそんな甘い世界でもないので、 ただ、調子が悪くならないようにコツコツと継続することを意識していたいものだと自分に言い聞かせる毎日です。
自信がないし将来性もない。 不安だけがたくさんある。でも、まったく何もやる気がしない。 そういう時には、一発逆転を狙ってはいけない。やる気がなくてもできる程度のとてもとても小さいこと。 とてもとても簡単なこと。それをコツコツやり続ける。すると毎日少しずつ出口に近づいていく。 もう一つ 自分の10年後、20年後を一番リアルに想像して日々動く。 私の心に残った言葉です。
様々なアート作品が世界中で評価され、現代美術家として名を馳せる村上隆氏は、アートとは「究極の自由」と語る。
例えば、天才的なプロスポーツ選手が、もともと競技の中にある「ルール」から脱出してプレイの一瞬一瞬の中で「自由」を見せてくれる。
村上隆氏は、北野武監督の映画作品を観るとその「究極の自由」を感じ、ルール再編的アートが立ち上がる瞬間を感じるという。
ビートたけしは昔からよく「なぜ『風雲!たけし城』をやったんですか?」と聞かれてきたが、自分自身でも理屈がつかず、ただ池に落ちる姿が見たかっただけかもしれないという。
ただ、どうせ池に落とすなら普通に落とすんじゃなくて落とし方を考えなきゃいけなかった。
ビートたけしが少年時代に住んでいた足立区は、大雨が降ると床下浸水とかになるところで、
酔っ払ってフラフラ道を歩いているジジイがズボッとドブに落ちる時をよく目撃した。
落ちそうなドブ板がけっこうあって、そこに行けば落ちるのを知っているから、「ああ来た来た、あのジジイ、落ちる落ちる」って思って、誰も注意してあげず黙っている。
それで落ちるって思ったら反対側によろけて「あぁ、ちきしょう、うまく逃げやがった」とか、落ちても落ちなくてもみんなで盛り上がった。そのドブ板に落ちる時の人間のポーズは、
全くの無意識だから、とんでもないポーズになる。手が跳ね上がったりして、とんでもなく不自然。その不自然なことを、無意識にやっている。
そう考えると、ああいう瞬間というのも、もうアートとして考えられるんじゃないか、とビートたけしは思うという。
アート的なダンスというものがあるが、そのダンサーは、無意識の動きをしたいと思っている。無意識な動きまで意識して踊るのが近代のモダンバレエだ。
そうなると、池に石をいっぱい置いておいて、どこが落ちるかわからない時に、「わっ落ちる!」、その時の形が前衛的なアートとなる。
『風雲!たけし城』に大きな理屈をつけるとすればそのように語れるが、単に笑いたかっただけ、とビートたけしは述べる。
また、北野武作品に多い暴力映画では、いきなり来てドンと撃つテイストのものが多い。それは、かつてベトナム戦争の時に、海兵隊がベトコンを問答無用にパーンと撃った映像が北野武の中に大きくショックとして残っていたからだ。
北野武作品では、ベトナム映像を見た時からそれが基本になっている。
そんなふうに、現実のものから教わることは多い。そういう意味では、現実に近づけること、あるいは現実に近づくことというのは、アートにおける基本のような気がする、とビートたけしは述べている。
社会心理学においては、身長と権威性は密接なつながりがあるそうです。 たとえば、ある同一人物の肩書きを変えて、 被験者に予想身長を聞いた実験があります。 ある時は「学生」と名乗り、 ある時は「助教授」と名乗り、 ある時は「教授」と名乗りました。 すると、「学生」と「教授」では、 被験者が予想した身長の差がなんと6cmもありました。 つまり、同一人物なのに、肩書が上なほど被験者は身長が高いと判断したのです。 これは、逆もしかりです。 私たちは、相手の身長が高いほど、権威性があると感じがちです。 アメリカの1900年以降の大統領選において、 身長が高い候補者が当選した確率が80%でした。 とくに、近年のアメリカの大統領はみんな高身長です。 身長191cmのドナルド・トランプをはじめ、 身長185cmのバラク・オバマ、 身長182cmのジョージ・W・ブッシュ、 身長185cmのビル・クリントンなど、 ここ20年以上は全員が180cmを超えていますね。肩書が上だと、身長を高く感じます。 逆もしかりで、身長が高いだけで人は権威性を感じてしまいます。 そこを知っておくだけで、相手に対してビビらなくてもいいかもしれません。
新技術へのネガティブ報道ば、沢山あります。
リニア・モーターカーへのネガティブ報道もそうですし、ボーイング787もそうでした。リニアの技術の画期的な性能よりも、磁力漏れがどうとか、工事の際の湧水が心配だという話が先行する、787の素晴らしい乗り心地と省エネ性能ではなく、(恐らくはワイヤリングのミスによる)電池の過熱問題ばかりが報道されたのです。
787に関していえば「電池がダメになったら墜落する」などという恐怖心を煽る報道もありましたが、そもそも飛行機というのは一旦エンジンがオンになれば、タービンの回転から潤沢な電力が得られるという乗り物です。
では、何で電池があるのかというと、あくまで非常用であるわけです。ですから、リチウムイオン電池がトラブったら墜落などという話は、デマもいいところなのですが、人々の心に一旦「怖い」という心理が刷り込まれると、それを煽った方が「受ける」というメカニズムがメディアを暴走させてしまうわけです。
こうしたテクノロジーへの拒絶反応というのは、例えば幕末から明治初期に「写真を撮られると魂が抜けてしまう」とか「電話線を通じて赤痢が伝染する」といったデマが駆け巡ったという話に似ています。
ですが、写真の場合は「考えられないほどリアル」だという当時の人々には腰を抜かすほどの驚きがあり、電話の場合も「遠く離れたところの声が聞こえる」という、それまでの常識ではあり得ないような「ショッキングな新しさ」があったことが推測されます。
ですが、暗号通貨やドローン、あるいはリニアモーターカー、ボーイング787といった「発明」は、そこまでのショックを与えたというわけではないと思います。つまり、技術があまりに革命的なので、人々が超自然的なものと思い込んだというのではありません。
そうではなくて、恐らくは人々の側に「新しいものへの不安感、警戒感」であるとか、「自分たちが生きてきたライフスタイルが過去形になることへの恐怖」といったものがあるのだと思います
フランスのパリで生まれたジェローム・シュシャン氏は、1983年、大学時代に旅行で初めて日本を訪れ、禅寺で修行を体験するなど日本文化に触れた。 1989年にパリ老舗の名門ジュエラーに就職して渡日したことをきっかけに、フランス国立造幣局日本支社、ラコステ北アジアディレクター、ヘネシーなど様々な企業で日本市場での活躍を積み重ねていく。 スペインのポーセリン(高級磁器)人形メーカーを母体とするリヤドロジャパンの社長に就任し、積極的経営で業績を40%に伸ばした。 2010年、シュシャン氏はベルギーのチョコレートメーカーを母体とするゴディバジャパンの代表取締役社長に就任した。社長就任時、ゴディバの社員たちにはラグジュアリーブランドという意識が強く根付いていた。 それはすごく大事なことだが、店舗の場所も「ラグジュアリーブランドがある場所でなければならない」ということにこだわっていたため、お客様が「ちょっとチョコレートを食べたいな」と思っても、遠くの店まで行かなければならなかった。 そこでシュシャン社長は、 「アスピレーショナル(憧れ)&アクセンシブル(行きやすい)」 というブランド二する、という戦略を描いた。 コンビニエンスストアでゴディバの商品を販売する、という全く新しい試みに挑戦したのである。 ゴディバのチョコレートをコンビニで売るのはラグジュアリーブランドのイメージを損ねるのではないか、という反対意見が社内にあった。 しかし、近所に店舗がないお客様にはオンラインショップ以外の手段で商品を買えないので、そんなお客様にも、ゴディバのチョコレートのプレミアム感を手軽に楽しんで頂きたいと考えた。 そこで、コンビニエンスストアの販売でもゴディバの店舗での購入のようなラグジュアリー感をあじわっていただけるように、商品はゴディバのショッピングバッグに入れて渡してもらうことにした。 これはコンビニとしては異例なことであったが、セブンイレブンはその願いを聞き入れてくれた。 この販売戦略は大成功し、コンビニだけでなく、すべての販売チャネルで売上を伸ばすことができた。 シュシャン氏が社長に就任して以来、ゴディバジャパンは5年間で売上を2倍に成長させた。 ラグジュアリーブランドであるというDNAは変えずとも、時代のニーズに応えて商品、販売チャネル、お店の雰囲気などは変えることができるのだ。 だから、時代の変化は老舗ビジネスにとっても、新しい成長の素晴らしい機会でもあり、伝統を守るためにこそ果敢なイノベーションが必要だ、とシュシャン社長は語る。 弓道には「正射必中」という言葉がある。「正しく射られた矢は、必ず的に当たる」という考え方だ。 これはビジネスの世界に置き換えると、 「お客様のことを本当に考えて良い商品を作れば、結果は必ずついてくる」という意味になる。 ゴディバはチョコレートを売る会社だが、一番の目的は「チョコレートを通じて世界の皆様にハッピーをお届けすることだ」と考えている。 そのためには、お客様に品質が高く美味しいチョコレートを楽しく気持ちよくお買い求めていただくことが必要だ。 その目的を最優先して正しいプロセスを踏めば、利益という結果は自然とついてくる。 それこそがビジネスの「正射必中」である、とシュシャン社長は語る。 ただし、同時に「正射正中」という言葉もある。「正しい心、正しい姿勢で的に向かい、矢を当てなければならない」という意味である。弓道の審査では、矢が的に当たっても不合格になることがあるが、それは正しい心、正しい姿勢でなくても偶然に的に矢が当たることがあるからだ。 ビジネスにとって「正しい姿勢」とは、お客様のことを考え、モラルをもって仕事をすることだ。 「お客様の目に触れないところでは、極力コストをカットする」という経営者も多いが、裏側にいくつもの欠点や手抜きがあるというのは、お客様への裏切りである。 売上と利益だけを気にしてビジネスを行うのは、弓道を言えば的に当てることだけを目的として矢を射るようなものである。「正射正中」の精神は、企業を持続させ発展させる、最良の方法なので、経営者は自分の会社が 「正射正中」のビジネスをしているか常に目を配るべきだ、とジェローム・シュシャン社長は述べている。
最近は、仮想通貨の日々高騰がつづいております。
ここまで行くと、通貨でなく投機ですね。
そもそも仮想通貨とは、よりお金の流れをスムーズにして生活の向上が目的でした。
また、市場にある仮想通貨の大部分が4パーセントの人が保有しているというニュースもあります。
それを聞くだけで、通貨として成り立つのかと疑問になってしましますね。
ただ、便利なものなのは、明らかな為、10年後には浸透しているかもしれませんね。
私が、とっている武田双雲のメルマガより。
「創作」について。
発明家と言っても
地球に存在するエレメントの
新しい使い方を発見しただけ。
どんなに偉大な数学者でも
0から数式を創りだしたわけではなくて
存在していたけど、人類が見つけていない法則を
たまたま発見しただけ
つまり
何が言いたいかというと
数学者にしても芸術家にしても
起業家にしても宗教家にしても
自分の力で創りだしたと過信してはブブーであって
神様が隠した宝物を
たまたま発見し使わせて頂いてるという
謙虚な感じがいいってこと。
「創作」といっても
自分が編み出したという考え方じゃなくて、
この世の恵みを
自分の個性を活かしてもらって
使わせてもらっているという気持ちが大事ということ。
そういう気持ちでいると
不思議とアイデアは尽きません
逆に
自分よがりでいるほどに
泉は涸れていくような気がします
決断・判断のルール、段取りのルール 【1】 初めて管理職となった人が、最初に認識すべきことがある。まず「管 理職の役割は「チームの成果の最大化だ」ということだ。あらうる 活動は、そこに向けて実行されるべきだ。 次に、チームの成果の最大化を「生産性の高いやり方」で実行する ことだ。長時間労働に頼るのでなく、単位時間当たりのアウトプッ トを高めるべきだ。 3つ目に、あなたと部下の「価値ある人材への成長」だ。目標を見 据え、主体的に行動し、臨機応変に対応する人材に自分がなること はもちろん、部下たちもそのように育てるべきだ。 以上から、管理職がやるべきことは、迅速な意思決定、ムダなく仕 事を進める段取り、スピード感を生む時間活用、成果につながる権 限委譲、高生産性人材の育成、最強チームの構築だ。 管理職はこれらの分野の仕事力を磨いていくことだ。これらの仕事 力は、特定企業や組織だけでなく、国や企業を問わず、どこでも通 用する普遍的な仕事力と言えるのだ。 【2】 管理職の重要な役割の1つは、迅速かつ的確に「決める」ことだ。 成果が出ないチームは、管理職が決めることに時間をかけ過ぎたり、 「決める」ことができずに、仕事が停滞している。 原因は、まずプロセスにある。情報不足や検討方法が不明もあるが、 深刻なのは「決断の基準がない」か「曖昧なこと」だ。「そもそも、 目的は何か」を問い直すことで、決める基準が見えてくるはずだ。 もう一つ、決められない理由が「心理的要因」だ。失敗することに 対する恐怖や、決めたことを実行することへの自信のなさ、出した 結論に対する反発への不安など、心の抵抗だ。 まず「そのうち」「いつか」などの曖昧な言葉は使うことをやめる べきだ。その場でスケジュールを確定させるのだ。「すぐ決める」 行動を続けることで、先延ばしする心理的要因を克服できる。 【3】 限られた時間とメンバーでチームの成果を最大化するには、単位時 間当たりのアウトプット、すなわち「生産性」を高めることが不可 欠だ。そのためには、決めたことを「ムダなく進める」ことだ。 仕事を頼まれると、普通は新しい仕事を横に置き、今の仕事を片付 けようとしがちだ。しかし、生産性が高い人は新しい仕事が来たら、 とりあえず少しだけやってみる。 その理由は4つある。まず、難易度がわかる。その時点で進め方が イメージできれば問題ないが、手こずりそうなら、他の仕事とのス ケジュール調整を行い、時間確保する必要がある。 次に、仕事の内容を正確に理解しているかどうかがわかるからだ。 手をつけてから理解不足に気づいた時、出張や休暇で依頼者が不在 だと、確認できるまで待たなければならない。 仮に、曖昧なまま進めてしまうと、依頼者の望む結果が得られず、 手直しを行わなければならないこともある。そうなると、無駄な時 間を費やすことになりかねない。 【4】 3つ目に、必要な準備を進められるからだ。自分が本格的に着手す るまでの時間を無駄にせずに済む。打ち合わせが必要なら、その時 にアポを入れれば、間際の時間調整でドタバタしなくて済む。 4つ目は、必要な情報に対する受信感度が高まるからだ。少しでも 手をつけてみると、仕事の内容に興味が湧き、それ以降、関連した ニュースや情報に対して脳のセンサーが反応するようになる。 こうして「ちょっとだけやって」から横に置いておく。そうしてお けば、本番になったらすぐに「最終成果物の骨格」を描くことがで きる。そこにかなりのエネルギーを注ぐことができる。 全体像のデッサンをせずに進めると、途中で失敗に気づいた時、一 からやり直すことになる。デッサンの段階で最終的なアウトプットの 質が決まってしまうと言えるのだ。